バリー・マイクロン(バリントン・ガーウッド)はルーツ・レゲエ・シンガーで、ジャマイカのマンチェスターで生まれました。彼の父は地元のバプテスト教会の伝道師で、彼はその教会の聖歌隊の一員となり、10歳の頃から歌い始めました。その後、年頃になるにつれ、レゲエ音楽に関心を持つようになり、20歳でレゲエアルバムの卸販売のアルバイトを始めました。当時はキング・オブ・レゲエことボブ・マーリーの“ナッティ・ドレッド”やバーニング・スピアなどのアルバムを扱ううちに、ボブやバーニング・スピア、ラス・マイケルと関わるうちに、ラスタファリアンのライフスタイルに共鳴し、ラスタマンになることを決意していくようになったのです。

そして1970年代にバリーは自身の5人兄弟のうち3人(バリーを含む)で「GARWOOD BROTHERS ? ガーウッド・ブラザーズ」というレゲエグループを結成しました。※ちなみに『Garwood』とは、バリーの姓です。ガーウッド・ブラザーズは、本格的なハリーJレコーディングスタジオにおいて、マイクロン・ミュージック社と共に8つのシングルを制作しました。代表的なもので、“Deepest Love ? ディーペスト・ラブ”、“Everything ? エヴリシィング”、 “Never let go ? ネヴァー・レット・ゴー”などがあります。

1980年代に入り、バリーは新しく“バリー・マイクロン”という名で、ソロ活動もスタートさせました。グレゴリー・アイザックの“Mr. Cops”のコーラスを担当し、シュガー・マイノットと“This ‘Ol man”という曲でデュエットも行い、他にもジュニア・バイルのようなメジャーアーティストと共演するなどして、キャリアを積んでいきました。
1996年には、バリー・マイクロンは最初のアルバムをジャマイカで発売する取組を開始いたしました。全13曲の収録を終えてから、アルバム・タイトルを『PRAISE JAH』と名づけ、これを日本で販売しようと試み、来日に至りました。そして1999年の夏、ついに日本で発売となり、“Love of King Selasse”、 “Mandela”、“Praise Jah”などのヒットソングを生みました。

バリーはこのファーストアルバムについてこう語ります:

「このアルバム『PRAISE JAH』は、私に前向きな勇気を与えてくれ、すべての人々が賞賛を与えるべく神は1つであるということを、私に教えてくれました。それは全ての国に平和というものを広げようとするバイブレーションともなったアルバムとも言えます。その後2000年の12月には、セカンド・アルバム『FREE MARIJUANA』がリリースとなり、“Free Marijuana”、“What do they get”、 “Africa is calling”などのヒットソングを生み出しました。また2001年に日本のレゲエグループで有名な“3 pint 6 milk”というアルバムにも参加し、「ザイオン・ツアー」と題するレゲエツアーでイスラエルでも公演を果たしました。2003年には、彼の3枚目のアルバム“We Are One”がリリースされ、One Loveをテーマに全国各地を回るツアーが開催されました。

1998年に日本に来て以来、バリー・マイクロンは東京、九州、名古屋、岐阜、大阪、京都、沖縄など、数多くの場所で、ライブショーを開催してきました。亡きボブ・マーリーのカバーや彼のオリジナル・ルーツ・レゲエによって、特に関西では、レゲエコミュニティの間でラスタのヴァイブスを浸透させたといっても過言ではありません。現在の彼はというと、4枚目のアルバム制作に取りかかっています。今後のますますの活躍にブラッカンも応援しています。





Barry Micron. All rights Reserved
copyright@2009